1970.初頭、当時はまでサッカーの強豪として認められてなかったチューリップと水車で有名なヨーロッパの小国がサッカー界に革命を起こすとは誰が予想していたでしょうか、1960年終わりから1970年のヨーロッパサッカーのクラブシーンはオランダが席巻していました。
その中の中心選手がヨハン・クライフです。
そのクライフが所属していたアヤックスはヨーロッパチャンピオンズカップ3連覇の偉業を達成、当時そのアヤックスの主力が中心となって結成されたオランダ代表はワールドカップのヨーロッパ予選をも突破、本大会へ駒を進めます。
まだ優勝候補とは呼ばれていなかったものの、彼等の目標は、予選突破と言うような生ぬるいものではなく、ワールドカップ制覇でした。
当時のオランダのサッカーはトータルフットボールと呼ばれ、プレーヤーがそれぞれ自分のポジションに固執せず、守りの選手が攻撃に回ったりまた攻撃の選手が守備に回ったりと目まぐるしくポジションチェンジをするサッカーでした。
戦前の予想は全く覆され、そんな彼等は決勝へ進出、闘将ベッケンバウワー率いる西ドイツに惜しくも敗れ準優勝に終わってしまいましたが彼等のサッカーは当時大きな革命を起こすこととなりました。
ふるさと青汁